ラツェ


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夕暮れ時を走っていると犬がついてきた。


なにやら利口そうな犬。


人気のない谷沿いの道を登っていて
あと30分ほどで日没という時なので、
頼もしい。


一緒に野宿してくれたら面白いかもな、と
持っていたジュマをちぎってやる。
ものすごい喜ぶ。
普段ザンパばっかり食べてるんやろうか。


50mぐらいあとをついて来る。
日本的な感覚を持った犬だ。
国境まで一緒に行こうか。


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標高は4000mを再び超えて
どんどんあがっていく。
あれ、こんなところに峠があるんや。
僕の持っている人民解放軍作成の地図には峠の表記がない。


峠があるとしたら、標高をあげないほうがテント泊しやすい。
でもこんな谷底でテント泊なんてまっぴらだ。
僕は潮鳴りとか川の流れる音の横で寝るのが嫌い。
周りの音がかき消されるというのは、夜中怖いもんだ。


少しでも川から離れてテントを張ろうと
山側の平地を探す。
また空気が薄くなってきた。
さっきの犬もいつのまにかいなくなっている。


雲が厚く、闇夜に近い。
完全に日が落ちたころ、
空き地を見つけた。
小高い場所にあって
道路からは死角。
最高だ。


道路から逸れてその空き地に向かう。



あっ



無数のほのかな青白い光がライトに反射。
一瞬ソーラー発電のボードかなにかと思った。


それは何百という羊の群れ。
奥のほうの暗闇に目を凝らすと黒いテントが見える。
人がいるらしい。緊張する。


近づいて
「ニーハオ。」と恐る恐るテントに声をかけてみる。


中からなにやら声がしたので覗いてみると
二人の遊牧民がいる。
テントの写真を見せて「OK?」と聞くと
チベット語でなにやら言うけどわからない。
この「テントの写真」というのは本当は役立つアイテムだ。
韓国の河東ビーチの写真をずっと使っている。


「チャー トン。」
かろうじて、それだけ聞きとれたので
「ああ、チャートン チャートン」というと、
中に招き入れてくれ、ヤクの毛で座布団を作ってくれた。


真ん中に牛糞をくべたストーブがあって
茶を沸かしている。煙がでていくように
テントの上は空いている。
というより、このテント自体が二枚の布を左右から
張り合わせただけなのだ。


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茶を飲む。
塩味がおいしい。
ホッとする。


「ヤグト?」
片方の男が、「ヤグト」を連発する。
テントの破れた部分を指差して「ヤグト」。
茶を指差して「ヤグト」。僕のカメラも「ヤグト」
羊も「ヤグト」。


名古屋の元上司の家が八事(ヤゴト)というところに
あったのですぐ発音を覚えた「ヤグト」。
言われるたびに元上司の顔が思い出されて面白い。


それにしても「ヤグト」、どういう意味なんだろう。
すごい謎解きゲームだ。
二人とも中国語が全く話せない。
こういう人もいるんだ。


寝る前にしなければならないのは、「恐れ」を取り除くこと。
よく見ていなかった羊を見て、川を見て、空を見て。
そして彼らと話す。差し出されたものを一緒に食べる。
とてもシンプルだ。

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ザンパを食べる。
砂糖を入れたいとわがままをいうと、
何なんだろう かすかに甘い 固形物の混じった粉を
手に落としてくれる。ほんとかすかに甘くてすっぱい。
なんなんだろう、これは。


とりあえず「ヤグト」なかんじで
「それじゃあ、寝ます。」と彼らのテントを出ると、
ここがいいよと瓦礫をとりのぞいて平地を作ってくれる。
気づくと僕のコップに茶がまたナミナミとつがれている。
「寝るときに飲みなさい」そんなジェスチャーだった。


夜、猛烈な谷風が吹いてテントが飛びそうになる。
大きな石を運んでロープをくくりつける。
羊がメェメェ鳴いている。



カラカラと羊の首鈴が鳴ると
彼らはそのたびにテントから出て
羊になにか喚いている。
今晩は寝ないんやろうか。



深夜まで風は吹き続いた。
ゴウゴウと谷を流れる川の音が響く。


(あとで調べるとチベット語で「ヤグ」は「良い」という意味。)