当雄
「チャー トン(茶を飲め)」
巡礼の皆はとっくにスタートしていて、大きなテントの中には
子供とおばさん、ドライバーと老人だけが残っている。
「マー(バター)を入れなさい。」
こうやって飲むのさと、ドライバーのおっちゃんが
茶の表面で溶けるバターを息で吹き分けてみせる。
なるほど、こうやると少しずつバターと一緒に
茶を飲めるわけか。
「ザンパ チ(ザンパを食べろ)。」
ザンパというのは、小麦粉にバターと茶を加え手で練って食べる
シンプルこの上ない食べ物だった。巡礼の皆もこれを食べて出発したのか。
これならすぐに調理できて、朝にはもって来いだなあ。
味は、うーん。。。とにかくモサモサしていてすぐに腹一杯になる。
「ザンパ、おいしいですね。」
心にもない、でもそう言うしかないことを言ってしまったせいで、
胃の限界までその小麦粉の塊を食べることになった。
でも、一緒のものを食らうこのひとときこそが嬉しいんや。
強い向かい風。下り坂でも漕がないと進めない。
今日は我慢の日だな、とコツコツこぎ続けてまた夕暮れ。
1年間走ってきて
どうにかならなかったこと、つまり
安全な寝場所を確保できなかったことは一度もない。
今日こそやばいところで寝ることになりそうだな、という時も
なぜか夜中はフトンに寝転がっていて、天井を見上げては、
「ああ、やっぱり今日もどうにかなった。」と思う。
その経験が支え。
またナイトランになってしまいそうだった。
暗くなった草原で
風避けになるかなるないかわからないぐらいの窪みに
グランドシートを広げてテントを張り、一度
100mほど離れて遠くからテントを見てみると、暗闇でも
その形が浮かび上がった。
なにか嫌な予感がして、もう一度パッキングして走り出した。
今日こそ初のどうにかならなかった日になるかもな。と思った。
走っているうちから霜が降りてきて、
次は何十キロ先にあるかわからない
町まで走るのかと思っていたところに、ああ、テントが見えた。
恐る恐る近づいて、
「水をくれませんか?」と様子をうかがうと
彼らもまたチベットに向かう巡礼者だった。
「チャー トン」
暖かくテントの中に迎え入れてくれた。
少し北の那曲から巡礼をしている4人組。
中国語はほとんど通じない。
世界のラブ&ピースなんて得体の知れないもののためではなく、
一晩の質の良い睡眠を得るため、彼らと仲良くなることに徹する。
ここは旅行者として真剣勝負。
そして、
僕に親切にする義理はなにもない人たちが数分後には
インスタントラーメンを作ってくれ、重くなるからいいですといっても
ミネラルウォーターを何本もくれ、自家製の腸詰をくれ、
テントを張るのを手伝ってくれ。
彼らだって妙な外人が隣で寝ることになって、
いきなりの真剣勝負だったろう。
互いの「恐れ」を取り除いた、そんなかんじだった。
単なる親切心やもてなしではなかったように思う。
今日もやっぱりどうにかなった。
寝る前にテントから首だけ出してタバコを吸いながら思う。