不凍泉

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自転車のタイヤが路面を擦る音しかない。



来たなあ、俺。


で、走り出して3日目。標高4600m地点
一番心配していた高山病にみごとにかかった。
頭痛だけではない、下痢、発熱、肺の痛み、
よくいわれる症状はすべてでてきた。
なんて素直な体なんだ。



一応、水をたくさん飲むとか1日500m以上高度を上げないとか
一般的な対処はしてきたけれど、だめだった。


ビザ日数に限りがあるという焦りが
どこかで体にストレスをかけているんだと思う。
でも、この旅程でなければ行けないわけで。



辛いというか、これはだめだとおもったのが
意識が朦朧としてハンドルを握っていても握っていない
感覚に襲われたことだ。
このスーッと現実感がなくなる様子は、パニック障害
あのかんじととても似ている。
道路はフラットで、路面の抵抗がないものだから
走っているかどうかわからなくなって
すんでのところで路肩の荒れた道を走って
自転車をガタガタいわせて現実感をとりもどした。




宿に荷物をおかせてもらって
出発地点のゴルムドにヒッチで戻ってきた。

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チベットに吸い込まれるようにして
近づいてきた数カ月、なんだか壁ばっかりで
一筋縄で行かないのはもう慣れた。


今回、いったん戻ってきたことは
[どうだ、この華麗な撤退は]と自慢したいぐらい。




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香月泰男
[つまらぬものでも、私の一生の一瞬を費やして作ったものたちである]



詩とか画家の言葉はまだ野望みたいなものが自分にある時にかぎって、
いつも的を得ていて頼りになる。


[つまらぬ行き来でも]と言葉を置き換えてみるととても気分がいい。
そんなナルシシズムもチベットを目指しているんなら、
許されるんじゃないかと思うぐらい、ここらは特別なところだと思う。




そして、以下グッドタイミングで
友人の詩人から送ってきてくれていた詩



『晴れた日の山』(浜田優)から抜粋


(略)
近づくほどに遠くなる
そんな山はないだろうか
蜃気楼?
夢の島?
そんなまぼろしではなく
たしかに頂きはあそこにあって
じっさい一度は登っているのに
見上げるたびに思い出すのは
いつかここで、おなじ姿勢で
藍鼠色に明るんでゆく空と山稜のきわへ
張りつめていた仰角とその後ろ姿
それから私が何をしたのか
すっかり忘れているくせに
(略)

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