さびしさ
五十五日目。
朝の善通寺。
このところ、渇水の話をよく耳にする。
早明浦ダムの貯水率が0%で、このままいくと断水になるのだとか。
でも僕が気にしているのは、四日後に来るらしい台風のことで。
ちょうど88番結願のころだろうか、と
やたらとかかる日数を逆算する。
最後の日が見えるなんて
遍路はもう終わったようなものだと思うと、
どうも歩く気がしない。
いったい、自分の原動力はどういう気持ちなのかと不可解。
最近読んだ本に載っていたうろ覚えの一編の詩を思う。
手 山村暮鳥
しつかりと
にぎつていた手を
ひらいてみた
ひらいてみたが
なんにも
なかつた
しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである
それをまた
ひらかせたのも
さびしさである
自分でいうと、馬鹿みたいだけれど
自分は世界旅行をするには
どうも繊細過ぎたらしいと思うときがある。
でも、
人が、少なくとも自分が前に進む原動力というのは
豪傑でガハハな前向きな気持ちではなく。
むしろ狂気に近い繊細さが無自覚に力になることが多いと
思う。
もちろん、前向きさはプラス思考の成果なのだけれど
それだけでは歩けやしない。
人一人、長い時間歩いているときの気持ちなんて
前向きであるはずもなく、足りているものを探すような
堂々巡りのあいまいな感覚だらけ。
旅行者は一日を終えた頃、旅から帰ってきた頃、
懐かしさや武勇伝に当時の危ういあいまいな感覚を見つけることができず、
白々しい感想を書いては、後にそれしか思い出せなくなるけれど
あいまいななかに時折紛れ込む繊細でわけのわからない「さびしさ」
みたいなものこそ、人を前に進ませるものの正体だと、
この詩を読んだ時に思った。
そうでなければ、旅行など何がおもしろいのかわからない。
さて、77番、78番と札所をめぐり
丸亀市の大きな橋の下で飯を炊いた。
79番まで行こうかとしたところで、
逆方向からきた遍路のおばちゃんと会った。
36回まわっているというおばちゃん。
お接待でもらったという弁当を僕にくれて。
「この先、テント張れそうな場所はないから、少しもどって
高速の下で寝たほうがええよ。わしもそこで寝るしな。」
胃を全摘したおばちゃん。
話しかけてきた同年代のおばちゃんが気に食わなかったらしく
手術の跡を見せて追い払った。
地元の人に気に入ってもらわなくては、というのが遍路の暗黙の了解だと思っていたけれど、
「暇つぶしに話されたらかなわん。」と強気。
「こわいもんは何もないよ。」
やっぱ、ガハハな気持ちというのは、それはそれで必要なんやろか。
本日の歩数
31362歩
トータル
1741214歩
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