高野山へ(その4)

5日目。
シュッ、シュッと耳障りな音で目が覚めた。
道を挟んで向かい側の家の庭先でゴルフの素振りを
朝の5時からやっているおじさん。
健康的なのか、狂っているのか。
自分も。
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あー、体中が筋肉痛。
よろよろと這い出て、すぐ朝食の支度にとりかかる。
たぶんここは、朝の犬の散歩で人がいっぱいになるのだろうから。


朝はやっぱり米。
今日はきれいに炊けた。昼用のおにぎりもばっちり。
スポンジがないので、そこらの雑草でコッヘルの米の滑りをとって洗った。
歯を磨き(ちゃんと歯ブラシで)、顔を洗ってすぐに出発。
ここにはトイレがないので、急いで
団地の入り口にあったローソンに行かなくては。


しばらく下り坂を足早に進み、橋本市街に入ると、
小雨がぱらついてきた。
歩き出すと筋肉痛はどこへやらで快調に歩くことができている。
暫くすると、三叉路にでて、標識もないので近くにいたおじいちゃんに聞くと
「左の方をまっすぐいって、しばらくしてAコープのところを左に折れて橋を渡りなさい。」
と教えてくれる。


そのとおりにすすむと、そのとおりの橋があり、
紀ノ川の雄大な流れを横目に、どんどん高野山の方向へすすむ。


そうすると、さっきのおじいちゃんが車で現れ、
「さっきのにいちゃんか。ちゃんとわかったか、道?」
と、心配しておいかけて来てくれたらしい。
「あとは、ひたすらこの道をまっすぐいったら九度山町や」
「わしも若いときにお遍路したけど、高知がなごうてきつかったのを覚えとる。」
「がんばりなはれ。」
ありがたいな。


昼前に九度山町に着く。
ミカンか柿かわからないオブジェが「ようこそ」という看板にのっている。
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道端の物産店で僕の大きなザックを見て
店のおばちゃんが「せっかくここまで歩いてきたのなら、国道で行かずに
世界遺産の町石道(まちいしみち)を歩いて高野山にいきなさいよ。」と。
町石道は高野山までの約12kmの山道の一町(約109m)ごとに石の塔が建てられている道で、
九度山の慈尊院(弘法大師の母の菩提寺)から始まる。
途中、国道と交わる1カ所をのぞいて、まったく人気のない道らしい。
「6時間ぐらいで登るよ」とおばちゃんはいう。
時計を見ると11時半。


たぶん、日没ジャストぐらいで着くだろうな、と
その町石道とやらを登ることにした。
12時すぎに慈尊院についたころ、
雨が本降りになってきた。
「今から登れますか?」と住職らしき人に聞くと、
「雨が降ると狭い道に雨水が集まってきて川みたいなるから危ないよ。」
高野山の入り口の大門まで8時間ぐらいかかるかなぁ」
と、さっきのおばちゃんと2時間ぐらいの差があるのだけれど、
真っ昼間から今日の寝場所を探すのもかったるいな、と思い
「登ります。」というと、黒棒とチョコパンをお接待していただいた。
「気をつけて。」と
「まぁ、危なくなったら高野山線の駅まで下ります」と言い、
雨具をまとって寺を後にした。


いきなりの急勾配がつづき、ハァハァいいながら登っていると、
ひとつ目の町石が見えた。これだけ歩いてようやく、ひとつ目か。
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急ぎ足で登っているとすぐにきれいな見晴台があった。
腕時計で高度をみるとすでに300m。
あー、もう3分の1登ったのか、楽勝楽勝と暫く休憩。昼飯を食べる。
太陽も顔をのぞかせる、あぁなんて快適な登山なんだろう。
雨具をしまって、ザックカバーもはずして出発。
再び登り始めると、急斜面の辺り一面、柿の木だらけ。
暫く歩くと、草刈りをしているおっちゃん。
「歩きか〜、大変やね。」と陽気な登山は続く。


そのうち、柿の木はなくなり、杉の木の道になる。
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何本かの町石の前を通っていると、雨が降ってきた。
上からというよりは横や下からの霧雨。
霧で数メートル先しか見えない道を登っていると不安になってくる。


木々には、南無大師遍照金剛と書かれた札が所々に
垂れ下がり、信仰の道であることを感じさせる。


杉の道を進むと、住職の言っていたとおり、
小道がチョロチョロと音をたてだし、小川のようになってきた。


農家の小屋やベンチもなくなり、
まったく人気がなくなってくる。時折現れる町石を見るとまだ
150町石程度。


180のうち、まだ30程度しか進んでいないのかと焦るのだけれど、
足を上げるごとに20kg超のザックの存在をしっかり感じて
時間はあっという間にすぎていく。


7時過ぎには日が暮れるはず。
それまでに、唯一人気があるといっていた、国道との交差点「矢立」まで
たどりつけそうもなければ、6時ぐらいに沢まで下って、南海高野線「上古沢」駅で
今日は寝よう。駅にはきっと、水やトイレがあるはず。




雨がいつの間にか本降りになり、
雨具を出そうと手間取っている間に、ザックはびしょぬれ、
水を吸って一段と重くなった。
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あぁ、今日はだめだ駅まで降りよう。
持っていた地図は慈尊院でもらった簡単な町石道の説明パンフレットについて
いるものしかなく、高度はおろか、距離も書いていない。
とにかく駅にいくには「古峠」というところまでいかなくては。


疲れては、そこらへんの杉の切り株にもたれかかり、
自分しかいない孤独とカッパに振り付ける雨音の気持ち悪さに耐えていると
なんでこんなことをしているのかと心がまいってくる。



5時頃、あまりの疲労と杉の木立の醸し出す気味の悪い雰囲気で
予期不安の前触れの症状を感じる。頓服でもらっておいた薬を飲む。
ここで心が狂おうとここは日本よ、
世界を目指していた人間が何をこんなことでまいっているとは。
杖を何度も見た。同行二人、僕は一人ではない。
同行二人の文字が見やすいように杖を持って登る。
同行二人。一人ではない。


6時過ぎに古峠に着いた。高度は650m。あとは駅まで下るのみ。
少しほっとして休む。


しかし、ここからが長かった。
下っても下っても、駅はおろか、電車の音さえ聞こえず、
小川と化した町石道が素晴らしく思えるほどの悪路を下る。
滑って、こけたら沢まで落ちそうだな〜と
思っていたら、滑った。お尻の下には金剛杖があった。
南無大師遍照金剛。


あぁ明日これをもう一度登るのは勘弁だと思いながら、
下って下って下って高度200mぐらいでやっと、畑や小屋が見えた。
雨はいつのまにかあがって、7時頃の空はまだ青かった。
なにかどっと疲れが出て、そこらのあぜ道に横になり、泥だらけになって横を見ると
雑草の先についた小さな水滴がとんでもなくきれいに見えて、雑草の茎を這う小虫が
いとおしく思えた。
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立ち直って、さらに下ると、
夕暮れの対岸に上古沢駅が見えた。
あぁ、対岸だからあの谷まで一度おりて
もう一度登らなくては。


谷までおりると、
上古沢駅までの道は、まるで壁のように目の前に延びていて
いやもうほんとに、人生で一番の勾配がそこにあった。
登るというよりは、這うように進むと
古びた駅舎があった。


人がいた。駅員さん。
事情を話すと
トイレの横でテントを張らせてもらうことができた。
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気がつくと雨は完全にあがっていて、
空には星がいくつか見えた。
駅舎の前の地面は、座ってもぬれないほどに乾いていた。


座って憔悴していると、
駅員さんが、30分置きぐらいで話しかけてくれる
「なんしに、こんなとこにそんな荷物背負ってきとるんや」
「大阪から歩いて来たんか」


杉の木立が気持ち悪かったこと、
道が小川みたいだったこと、
そんなことを話していると、あっというまに終電になって。


「この駅、一日3人しか使わんけど、レールのポイントがあるから無人にするわけにいかんのや。」
「わし、11時すぎに寝るけど。トイレの電灯けしとこか」
「つけとったら、蛾がよってきて、蛾食べにヤモリがきて、ヤモリ食べに蛇が来るで。」


最期に少しの身の上話をして、
ぬれた、ザックと荷物をトイレの前の柵にひっかけて横になった。


テントの外から
「にーちゃん、茶いれたろかー」


本当にありがたい言葉で山あり谷ありの一日がおわる。



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