高野山へ(その2)

東寺をでて3日目。
朝7時。雨の降る中、阿波座の知人宅から出発。


オフィス街のど真ん中、鈴の音を鳴らしながら金剛杖をつき、
同行二人と書かれた菅笠は不釣り合いなこと、この上ない。


出勤途中の傘をさしたサラリーマンに訝しい目で追われながら、
とにかく南に歩を進める。


このあたりは、名古屋から徳島まで自転車でテストツーリングしたときの道。
見覚えのある吉野家、スポンサー企業のオフィス。
一昨日までは、なんでここにいるんだろうと、ぼやいていたが
今日はそうは思わない。


僕はもう療養への道を歩き始めていて、
確実に自分の意思で歩んでいるのだから。
カッパのべたつきもなく、思ったよりも体は軽く、
2時間ぶっとおしで歩いた。


大阪南部で有名な格安スーパー「スーパー玉出」で
バナナやマカロニ、自炊のための調味料を買った。
しめて1200円ほど。いちいちザックをおろすのも面倒なので、
そのまま店内を闊歩していたらようやく体が疲れてきた。


レジ横で「これからどこいくの?」と大阪のおばちゃんに聞かれ、
高野山に行くんですよ、と答える自分はきっと目を輝かしていたことだろう。
答えつつ、このとき心から自由であった。嫌になれば、南海の高野線に飛び乗り、
電車で高野山に登ってしまえばいい。


お店をでて、なんば筋がとぎれる頃、
どこかに雨宿りできる場所はないかと捜しつつ、歩いていたが
ホームレス対策なのか、公園にはトイレぐらいしか屋根がなく、
どの歩道橋の下にも柵が張り巡らされザックをおろして休む場所もない。


ようやく、無人のコインランドリーをみつけ、
昼食用に買ったバナナを4本一気に食べた。
薬のせいもあり、座ったらそのまま寝てしまいそう。


だるいなと思いながら歩き続け、気づくと大和川を渡る橋の上。
そういや、橋の上では金剛杖をついてはいけないのだったとか、
そうこうしていると雨が次第に小降りになり、堺市に入った頃には太陽が
雲間から顔をのぞかせるようになった。


高速道路下に小さな公園があり、そこでぬれてしまった靴下を脱ぎ
足を乾かした。マメ防止には、数時間おきに足を乾燥させることが大事なのだと
なにかで読んでいたから。


途中、コンビニで地図を見て道を確認していると
仁徳天皇陵の横をすぎる道に「西高野街道」と名前が振られてある。
何ページかその先の道をたどると、たしかに高野山まで続いている。
この道をいけば、数日後にはたどり着くのだなと、
こんな街道の存在をここにきて初めて知った。
この運命的な発見は途端に僕を奮い立たせた。
街道の横にはずっと沿うように南海高野線が走っている。
いけるところまで歩いていこう。改めてそう考えた。
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大阪府立大の近くに、大きな公園があった。
まだ夕方5時ぐらいで太陽はしばらく落ちそうにないけれど
今日は遍路初野宿であるし、無理せずこの公園でテントを張ろうと決めた。


白鷺公園。トイレもあるし、水もでる。
申し分ないが、死角がない。
こんな日のある内からテントを張る気にはなれず、
湯を沸かしてインスタントラーメンをたべ、3時間ほどぼーっと過ごす。


夜になると、近所の中学生が花火をしにきてうるさかった。
早くどこかにいってくれよ。テントが張れないじゃないか。


仕方なく、大きな公園を歩き回っていると、
人目につかなそうな藪を見つけた。
雨露でしめっているけれど、下はふかふかの雑草。
テントを張れば中は快適だった。
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横になって、真後ろを通る電車の終電を待つ。
深夜12時半。終電が通り過ぎたころ、人の気配がまったくなくなった。
日本といえど慣れない環境で、発作がくるのが心底怖かった。
誰かに見つかるのが怖くて、持ってきていたヘッドライトも
おそるおそるしか使えなかった。
が、精神安定剤を一錠飲むと、何も考えずに眠りにつくことができた。



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