徳島3

僕が走った頃のシリアはまだ平穏で、
どこで寝ても大丈夫なんじゃないかと思うぐらい平和な国だった。
実際に大都市以外は野宿と民泊、モスク泊で夜をすごした。


今、テレビのシリア報道には爆破とか虐殺とかおぞましい
単語が付きまとうけれど、僕にはしっかりとそのカメラの後にいる
素朴で優しい男達や、人情あふれるベドウィンの家族の姿が見えている。
無事でいてほしい。


そんなシリアに僕は手紙を配達していて、
そん時の様子はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/sekaiisshu/20110218/1298286292
http://d.hatena.ne.jp/sekaiisshu/20110219/1298319177


三顧の礼で受取人のナオラス・ナブチ氏は僕の前に現れて、
その返事を手渡されたのが、2011年2月23日。
http://d.hatena.ne.jp/sekaiisshu/20110223/1298445522


f:id:sekaiisshu:20120713011233j:image
ナオラス氏から預かった手紙は、走っているうちにボロボロになって
しまったけれど、無事に日本まで持ち帰ることができた。


で、この前の徳島での展示会。7月2日。
僕に手紙を預けてくれたRueさんは、はるばる長崎から、
マイカーをぶっ飛ばして駆けつけてくれた。
そして、ようやく返事を手渡せる時がきた。


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早速Rueさんに手紙を渡そうとすると、
「演奏してからね」となにやら手紙を読む前の儀式のように
即席の会場でハープを弾いてくれて(Rueさんは音楽の先生)、
その順序が僕にも当然なような気がしたのは、不思議だった。


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(手紙を読むRueさん)


やっぱ手紙を開けて読む瞬間はなんともいえなかった。
残りの手紙が少なくなるほどに感想を聞くとか野暮なことは
どうでもよくなってきて、なんだろうな、
時間をかけたことと、この一瞬の対比だけを楽しみたいと思っていた。
だからか。


長年かかった配達を予想以上に喜んでくれているらしい
長崎のRueさんの近況を聞くと
自分もネコも杓子も急いで「絆」で「つながり」な今の日本で、
頻繁に連絡を取り合うってことは、連絡を取っていないのと
同じじゃないかと思ったりする。


残り1通は東京。