地震について

まだ膝が良くならないので休養している。



旅行なんて100%自分のための遊びをしている自分は
震災あれこれは自分の領域じゃない、
ネットに氾濫する馬鹿旅行者の呼びかけみたいなことはしたくない
って最初は思っていたけれど。


そして、そういう人助けをしない人間だからって
自分は人間失格ではないだろうし、むしろよく考えている方だと思う。
ノリで支援したくない。そう、あのノリがなんか嫌なんだ。
ノッて結果、金が集まる。そんなお金でも応援メッセージでも
被災者はきっと救えるんだろう。どんなメッセージが人を救うかなんて
僕には到底わからないし。


でも、その得体の知れない船にはノリたくない。
がんばれ日本とか、泡みたいに無意味なことは言いたくない。


実際自分は支援したいっというほど悲しんでいない。
言うなら悲しめないことに罪悪感を感じる。


でも、被災地に実家を持つ後輩の
ブログを読んだ途端に、ちがう胸が痛んできた。
色々さておき、とにかくなにかやらないと、と思った。
悲しめないのは単なる自分の想像力不足だったのかもしれないし、
自意識過剰なためかもしれない。


この場で自分がやれることはないかな、と思ってカード決済で
日本赤十字に寄付してみたり。でもなんか晴れず。
自分ができることってなんやろう、と。
自分が納得できる支援てなんやろう、と。


なにか直感めいたものがあって、
トルコの赤新月社のHPを見てみると
なんとトップ一面に日本への支援呼びかけの画像があった。
各国の赤十字のサイトと見比べてみたけれど、
トルコのそれはなんか胸に迫るものがあった。
http://www.kizilay.org.tr/


トルコからは救援隊も19日に到着して今も宮城県で活動している。
放射能汚染を懸念して多くの外国人が避難するなかで。
勇敢や。
ソースはわからないけれど、
当初の規模は米国につぐ163人を表明していたという情報もある。
実際に来てくれたのは32人。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/3/0320_01.html
それでも遠く離れた、一般の日本人にはなじみの薄い国からとしては
異例の規模だと思う。


トルコと日本のつながりは意外と古くからある。
日露戦争から串本のエルトゥールル号の遭難事件、
阪神大震災、トルコ北西部地震とネットで探せばいろいろ出てくる。


以下、wikiより抜粋。


イラン・イラク戦争の1985年3月12日、イラク軍によるイランの首都テヘランに対する空爆が始まった。テヘランの在留外国人は空爆を避けるために国外避難を準備し始めたが、3月17日に至って、イラクのサッダーム・フセイン大統領は「3月19日20時半以降はイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明を発した。
宣言後、イランに住む外国人についてはそれぞれが国籍を置く国の軍隊、ないしは民間航空会社を使っての脱出が計られた。しかし、当時日本では社会党を始めとする左派や市民運動家による自衛隊への風当たりが強く、自衛隊に対し海外へ在留する日本人への緊急脱出をさせる為に活動させるといった法律が無かった。また、日本政府は他国に応援を打診したものの、自国民救出に手いっぱいで機材の予備も少なかったため、断られてしまう。また過去にテヘランに寄港していた日本航空は当時既にテヘランへの寄港を停止していたため、日本政府は現地との調整に手間取り、日本航空チャーター機の派遣も反会社側労働組合の反対と、前記期日までの脱出が困難であることを理由に実現しなかった[4]。そのため、在イラン日本人200名以上は脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕していた。
イランの日本大使館の野村豊大使は、トルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、大使の要請を受けて2機のトルコ航空機がテヘランへ派遣された[5]。2機のトルコ航空機が215人の在留邦人を乗せてイラン国境を越えてトルコ領空に入ったのはタイムリミット直前のことであった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E8%88%AA%E7%A9%BA


トルコの親日感情には胸をうたれる。


で、思いついた。
自転車旅行者はどこにいってもとにかく目立つ。
まだこの義援活動を知らないトルコ人に知らせるために
走行中の自転車の後ろに義援に関するボードをつけて走ればいいんやないかと。
(トルコでは警察の許可なしでの募金活動は禁止されているらしい、
募金の呼びかけだけなら問題ないやろう。)


たかが一台の自転車で
これをやったからって助けになるかどうかといえば、
それは限りなくゼロに近いと思うけど、


活動を知ったトルコ人は喜ぶやろうし、
被災地も救われるだろうし、
何より悶々としていた自分が救われる。



でも、ボード作りのためにトルコ語訳を考え、
ネット検索をしているうちに、
寄付寄付てなにか図々しい気がしてきて、ああそうや、
それよりも現地にいる日本人としてトルコ人に今の活動に対して
お礼を表明するのも、被災者の代弁、手助けじゃあないかと思った。
「ありがとう」を伝えるのも支援だ、きっと。


僕はお遍路のときに思ったのだけれど、
「ありがとう」といい続けるのはしんどいことだ。
(まだ被災者はそこまで考えられないかもしれないけれど)
それが遠い国の二度と会わないかもしれない相手ならなおさらやろう。
考えたくもない未来を背負っていたらなおさらやろう。
それに自分が1年半旅行してきて、ほんとに多くの人の親切を受けてばかりで
心苦しい気持ちもなぜか少しは晴れる。


だから、ボードにはまずおっきく
「日本への支援、救援隊をありがとうございます。」を書くことにした。
もちろん、赤新月社のサイトも紹介する。


ひとりよがり?ヒロイズム?
こんなことで世間におうかがいをたてなくても、と思うけど
これでいいのか、なんか心配だ。



でも、
自転車こぐためにはそういうヒーロー感はとても大事なものだ。
語弊があるかもしれないけど、わくわくする。
結局は自分が今を楽しみたい。


「Uzak bir ülkenin eski bir arkadaşı!
Japonya'ya destekniz için teşekkür ederiz!
Türk Kızılayı sitesinde yayınlandığı Bağışlar」
(遠い国の古い友人へ!
日本への支援ありがとうございます!
トルコ赤新月社のウェブサイトで寄付を)


f:id:sekaiisshu:20110322131917j:image
ちなみにこれは下書きだから、まだ「ありがとう」は小さい。



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