バスティ
朝8時起床。気温15度。
もうTシャツでは過ごせない気候になった。
チャイを飲み、
先生氏の妹が作ってくれた
ダールと米をごちそうになる。
それから、近所の親戚めぐり。
日本人の来訪者を誰彼かまわず
紹介したい先生氏(左端)。
別れ際にお母さんが泣きそうな顔になった。
たった一晩だけなのに大げさだな、と思いつつも
僕の額に手をかざしてなにやら祈られると、
スッと僕も悲しくなった。
まだ僕はインド人がわかっていないな、と思った。
10時から出勤するという先生氏とともに家を出る。
道すがら、話す。
両親はつい2週間前に嫁に出したばかりの
5番目の娘さん、つまり先生氏のお姉さんを
亡くしたばかりだと。
「指は5本あってもどれをなくしても痛いものです。」と。
僕が来なければ
なにも動いていないかもしれないと思う、僕にとっては
まるで舞台裏のようなインドの片田舎でも、
悲しみ喜び、粛々と人の営みが行われとるんや。
学校を見学させてもらう。
「600人の生徒があなたを待っているんですよ。」
と言われて緊張しつつも楽しみにしていたけれど、
実際は1時間校長と話をしただけ。
気難しい人で「目的は何だ?」と聞いてくる。
「ただ見たいだけだ。」
それならダメだ、と。
別にそれほど見たいわけでもなかったのでいいんやけど。
校長の前を通って、生徒達は教室に向かうのだけれど
時折、校長が生徒を呼びつけて
「月謝はどうした?」
と聞いている。
生徒が
「お金がありません。」
と答えると、男の子であれば
耳を引っ張り、頬をひっぱたく。
女の子は両手を出させて打ち据える。
見るに耐えない光景。
聞くと月の授業料はほんの100ルピー(200円)。
平均3000ルピーほどのインドの月収から払えない額ではない。
怠惰な親が子供にお金を渡さないのだ。
根深いこの国の問題がそこにあるのはわかっていて
いろいろ聞きたかったけれど、
徳のない校長氏に聞く気になれなかった。
でも子供達。
社会から見捨てられるよりはよほど幸せかもしれない。
11時に授業が終わって
先生氏は授業料の取立てに生徒宅に向かう。
彼と一緒に表通りまで歩き、そこでわかれた。
田舎道。
レンガ敷きの道路は
凹凸が激しくてちっともスピードにのれない。
たった50kmほどでまた日暮れ。
冬になって日が短くなり6時には真っ暗になる。
インドにはダーバーという簡易レストランが道路沿いの
あちこちあり、それは長距離トラックの運転手が主要な客なので
休憩用のベッドや沐浴用の水汲み場が併設されていることが多い。
そこで食事をしつつ、
建物の裏でテントを張らせてもらえないかと頼むと
「いいよ、問題ない」と。
食事を終えてボーっとしていると
「あの商店の中で寝ればいい。」
とダーバーのオーナーが言う。
ダーバーの向かいにあるその商店は咬みタバコと雑貨を売る店で1畳ほどの広さ。
鍵もついていて、夜は安心だと言う。
いかにも南京虫な気配がするので
しぶっていると、
「まあ、来いよ。」と店の中に案内される。
くつを脱いで商店の中に入る。
ヌメっとした布団の中に足だけ入ると
もうヤケクソだった。
訪れてきた客に
「何が必要でしょう?」
とヒンディー語で接客すると大うけで
「ジャーパーニードゥカーンワーラー。(日本人の売り子)」
と皆が喜び、ダーバーは大いに盛り上がった。
「明日、村をバイクで案内してやるよ。」
「サトウキビジュースを飲んだり、レンガ工場を見たり、川で魚を釣ったりしよう。」
「俺の奥さんを見たいか?うん、それならお土産を買って行こう。」
「お金の話を今はしないでくれ、全部明日だ。」
「なにも問題はない。今夜は安心して眠れ。」
オーナーは終始上機嫌だった。
一人で寝れるもんだと思っていたら、
店の丁稚くんがとなりで寝ることになった。
というより、いつもここで寝ているらしい二人の丁稚のうち
年少の方は即席のわら布団で牛のように寝ていて申し訳なかった。
夜中、時折訪れる客が咬みタバコの銘柄を大声で叫ぶ。
眠れない。
外に出てダーバーの裏にテントを張る。
「寝られないのか?」
とホットミルクを手渡してくれる従業員。
朝の4時や。
霧が濃い。
にほんブログ村←横のバナーを押すと、ランキングがあがります&見えます。