メハダワル

ネパールという国は出稼ぎ大国で、
香港、アラブ方面などカトマンズから直行便がある国が
主なネパール人の出稼ぎ先だ。
日本もインドレストランで働いている人が
ネパール人だったりして、さあヒンディーしゃべったろうと
レストランに入ってみると壁にエベレストの写真が飾られていて、
ああなんだネパール人経営なのかとがっかりすることがある。


カトマンズで出会った国際協力の仕事をしている日本人女性は
不当な待遇で海外で働かされているネパール人子女を助けるための
活動をしていた。
輩の手口はこうだ。
高額な月給が手に入るからと、借金をさせて海外に連れ出し、
連れ出した先では、実際は低賃金。ネパールに送金どころか
渡航のための借金を返すためだけに働き続けるという。
逃げ出そうにもパスポートを取り上げられているために、
それができない。



実際僕もマレーシアの電気屋街でネパール人を名乗る男から
「私はシンガポールで人材派遣の会社を経営している。
最近、ネパール人の需要が高いんだ。」
「インド人?ダメダメ。手グセがわるいし、ずるがしこい。」
「その点、ネパール人の少年は素直で評判がいい。」
「君はネパールにいって、この名刺をそこらの少年達に渡せばいいだけ。」
「注意してもらいたいのは、都会ではなくて農村のバス乗り場に
たまっている少年に渡すこと。」
「もし君が渡した名刺を持って私のところに来た少年がいたら、
君の口座に一人当たり400ドルを振り込もう。」
と話された。


あまりにおいしい話すぎて怪しかったので
翌日の名刺の受け渡し場所には僕は行かなかった。
今思えば、危うく悪の片棒を担ぐところだった。


前置きはこのぐらいにして、
なんや。そう、
隣国のインドにはもちろん出稼ぎネパール人があちこちに居て
国境の先数キロにもまだネパール人の食堂がある。
ネパール風の最後の食事をインドでしたということが言いたかった。



ネパールの主食はダルバード。
インド風に言えばターリーという定食なのだけれど、
その違いはごはんとおかずのおかわりがタダかどうか、だと
僕は勝手に思っている。

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サイクリストの食欲を100%満たしてくれるダルバード。。
他の国では食堂で二人前ぐらいがちょうどいいので
ほんとに助かった。



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国境から離れるにつれて
人口密度がどんどん高くなってくる。


いくらなんでも人が多すぎるだろうと思っていたら
なにかの祭りの人出だった。
何千どころか1万人ぐらい人がいるんやないやろか。



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自転車を停めて写真を撮ろうとすると
ものの数秒でまわいに人垣ができた。
「ギア付だ、ギア付だ。」と
ハンドルのシフトレバーに掛かる無数の手。
取り囲まれると、さすがに怖い。
1対10000人、超アウェイだ。


ピーっと笛がなって、警察官がやってくると
例えそのままに、クモの子を散らすように人々は逃げていく。
「おまえは一体なにをしているんだ!」と
警察官が僕に近寄ってくるのだけれど
日本人だとわかると
「ああ、ネパール人じゃないのか、早く先に行きなさい。」と
丁寧な口調になる。


インド人警察官は弱いものに容赦がない。
物乞いや低カーストの者には平気で警棒をふるうので
怖いけれど、ジャーパーニーにはだいたい好意的だ。


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祭りの渋滞のおかげで予定していた街にたどり着けず
田舎町で夕暮れになった。






僕「この街に宿はないか?」
イ「この先にあるよ。」


さらに進んで
僕「宿がこの辺にあると聞いたけどどこですか?」
イ「この街にはないよ。」


あ、そう。
全然ショックじゃない。
インド人てこんなもんだ。


お寺でテントを張らせてもらおうと
街で一番大きなヒンドゥー寺院に行くと
もうあたりは真っ暗になった。
タダで泊めさせてくれるということで、
さあテントを張る前に食堂でなにか食べようと漕ぎ出すと


「レストランはこっちだ。」
と暗い夜道を青年が自転車をこいで案内してくれる。


長々とこいで、ああ腹減ったなあ。
連れて行ってくれたのがなぜか人の家で
「私の友達です。」
となぜか友達を紹介してくれて、
そのマイペースさに怒りを通り越してあきれた。
いや、それよりも食事がしたいんです、というと
「そう、レストランはこっち。」
とすべて予定通りかのように話すところはカンに触る。
その友達も一緒に元の道をもどり、レストランの前でなぜか
「5分待って。」
という。


またもや
「友達です」とさらに4人の友達が追加されて
やっと食事。


チキンカレーとごはん。50ルピー(100円)
勘定を支払おうとすると
「あなたはゲストだから払わなくていいよ。」という。
不信感満点なので、いや、いい。自分で払うというと、
「私を信用していないのか?」
と畳み掛けてきたのがカチンときて
「会って1時間も経ってない人を信用するなんて不可能だ。」
と不機嫌にいうと、
「わかったから怒らないで。」と。


「チャイ(ミルクティー)を飲みましょう。」
と茶屋で話をしているうちに
彼らが小学校の先生であることがわかった。


で、少し緊張が解けた。
「あなたを家族に是非あわせたいのです。」
と友達の家めぐりが始まって、暗闇の中
医者の家、農家の家、ムスリムの村、
ナマステ、ナマステ、アッサラーム
と相手の顔も見えないのに話して
いやそろそろ疲れたので寺に戻りますというと、
「私の家で寝ればいいよ。」
と最初に僕を案内してくれた彼がいう。
「なにか問題はあるか?」
いや、あるんやけど聞いても答えが帰ってきそうにないことが二つ。
南京虫がベッドにいるか、彼が同性愛者でないかが気になるけれど、
ついていく。


あたり一面畑、月明かりで広い庭が真っ白できれい。
ごみひとつ落ちていない家。
どんどん緊張が解けていく。



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納屋に応接コーナーとベッドがあった。
もう腹いっぱいと言っているのに食事が運ばれてくる。
米とジャガイモカレー、ダール(豆のスープ)
「なにか問題はあるか?」
「問題があったら、何でもいってほしい。」


インド人の優しさって、おせっかいと紙一重だ。
自分たちの思うやさしさを、思うままに出してくる。
それがなんだかわかりやすいので、
しょうがない人たちだな、と許せる。


お母さんとお姉さん、弟を紹介される。
ああ、初めてインド人女性とまともに話している気がする。
外国人が田舎のインド人女性と話すのはとても難しい。
彼女たちはガードが固くて、話しかけても無愛想で
カメラを向けようものなら一目散に逃げていくか睨んでくるか。
僕だけがそうじゃないことを願うのだけれど。


夜遅くまで話をして、
疲れたのでもう寝ますと夜11時。
「僕達はまだ少しおきているけど気にしないで。」と
結局1時ごろまで枕もとで彼らは話をしていて
寝られたもんではなかった。


しょうがない人たちや。




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