昆明
雲南省の省都、昆明についた。ここで装備を夏用にきりかえて、南下する予定。
東北地方や北京あたりにいたころは、
[どこに行くんだ?]と聞かれると、とりあえず
[昆明]と答えていて。
ベトナムとか、ラオスとか、ましてや世界一周だなんて、
彼らの生活とあまりにも乖離した言葉を発した途端に
なにやらコミュニケーションに壁ができるのが嫌で。
昆明は、彼らにも僕にも遥か遠い南の都市というイメージ
だったのだけれど、今日そこにたどりついたわけで。
[昆明][昆明]と答えていたおかげで、特に何があるわけでもないのに
なにやら感慨深い。
下関からフェリーにのって、釜山についた。
とりあえずソウルの友人に会うことを目標にして北上しよう、
ソウルに行けばどうにかなるんだから。
調子がよければ、そのまま中国へいってみよう。
ソウルで友人に会えたときは、うまれて初めて
人に(男に)抱きついた。
その友人が[どうせなら韓国で終わらずに
できるだけ遠くにいってみたほうがいいと思うよ]
[これからが本番だと思うけどな]と
相変わらずの流暢な日本語で話し。
僕はその時なんて酷なことをいうんだろう、と
心の中で猛反発だった
でも、ここ雲南にきて[できるだけ遠く][できるだけ遠く]って、
なぜだかこいでいる最中の僕にはとても心地よく響く。
先のことを考えないように考えないようにしているはずだけど。
フェリーの中に公衆電話があって、あれであのときに
あの声を聞けなかったら、僕はどうなっていただろうと思う。
常人には絶対にわからないし、わかってたまるかと思うし、
悲劇のヒロインぶるなといった人は、自分とて所詮ロマンの虜で
あることを自覚すればよいし、
元気そうでなにより、とメールをよこす友人には僕は元気ではないので
なにをもってそう言うのかと返信の冒頭でつっかかってみたいし。
自分が病気であると深く思い込むな、といった人には
予期せずおとずれる体の異変を、頭を支配する不安を、
それではいったい何のせいにすればよいのか問ただしたいし。
もっと強く生きろ、と僕を罵った人には
何をどう思おうが自分の意思とは関係なしに狂気がおとずれることを
体験してほしいし。
なぜだか僕を励まして安心している人には
人を見ずに投げかけた言葉は、正論であるほど凶器にちかいことを知って
人生を20年ぐらいやりなおしてから懺悔してもらいたいし。
前回の失敗がよい経験になったねとのたまふ人には
僕は失敗をのりこえてはいないから、簡単な物語にあてはめずに
もうすこしは僕のことを考えてくれと願うし。
美しく意見した人には、役に立たない言葉を発する前に、あなたの意見は
遠くの出来事だから美しいかったことを詩をよみながら涙してほしいし。
時間をかけて海外旅行できていいもんだと冷めている人は、
ブルーハーツを聞いて再び人生に誠実に熱くなってみたらいいと思うし。
そんなことを気にしていたのかとがっかりする人は
嫌ならこのブログをみなければいいし。
「もっと強く」 茨木のり子
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは 明石の鯛が食べたいと
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは 幾種類ものジャムが
いつも食卓にあるようにと
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは 朝日の射す明るい
台所がほしいと
すりきれた靴は あっさりと捨て
キュッと鳴る新しい靴の感触を
もっとしばし味わいたいと
秋 旅に出たひとがあれば
ウィンクで 送ってやればいいのだ
なぜだろう
萎縮することが生活なのだと
思い込んでしまった村と町
家々のひさしは 上目づかいのまぶた
おーい 小さな時計屋さん
猫背を伸ばし あなたは叫んでいいのだ
今年もついに 土用の鰻と会わなかったと
おーい 小さな釣り道具屋さん
あなたは叫んでいいのだ
俺はまだ 伊勢の海も見ていないと
女が欲しければ奪うのもいいのだ
男が欲しければ奪うのもいいのだ
ああ わたしたちが
もっともっと貪欲にならないかぎり
なにごとも始まりはしないのだ。