焼けるほどに
三日目。
あぁ、少し寝過ぎた。
自転車の彼はまだぐっすり、テントの中。
8時すぎに小屋を出発。
10時頃に11番札所の藤井寺に着く。
納経所のおばあちゃんと少し話す。
僕が、食料は大量に積んであるから
遭難しても飢えることはないですよ。なんて話すと
戦争中の話になった。
「麦って食べたことある?
米みたいにすぐには炊けなくて、一昼夜水につけておくんよ。」
「金平糖を初めて食べたのが、小学校三年生。」
「山の中に避難する訓練ばっかりしとったよ。」
とか
「室戸台風の後に、伊勢参りをしたら、こんなにでっかいのこぎりで
折れた杉の木を切っとったんじょ。」
とか
12番焼山寺への道は、高野山よりは楽だと聞いていたけれど
登り始めるとすぐに、杉の木立の世界になり高野山の気持ち悪さを
思い起こさせる。
「南無大師遍照金剛」「お大師様も通った道」「同行二人」と至る所に
札がくくりつけられており、気持ち悪さに拍車をかけている。
とにかく白地に赤い字は怖い。
昨日まで、寺をにぎわせていた団体遍路の姿は
山中にはない。歩き遍路は遍路全体の中の1%、
ということは年間15万人遍路の中では、1500人程度という計算になる。
そして、そのほとんどが春秋の気候の良い時をねらってくるので
梅雨の今は四国全体を見回しても、歩き遍路の数は数百人程度だろうか。
誰にも抜かれることもなく、もちろん僕が抜ける人などいるわけもなく
石と泥の道を登る。
それにしても、荷物が重い、
昨日食料を買い込みすぎた。キャベツやにんじんをなぜ山に持ってきたのか、
自分の馬鹿さ加減にあきれる。
少し、ひらけたところで昼食。
持っていた野菜をつかいまくって、豪勢な長崎チャンポンをつくる。
昼をすぎてまだ行程の4分の1程度しか進んでいない。
このままだと、また高野山の二の舞か。と気が滅入る。
納経所が閉まる5時までに寺に着きたかったのだが、
そんなことは到底無理だと、すぐにわかった。
12番焼山寺が難所と言われるのは、単にその標高が高いからだけではなく、
一度かなりの高さまで登って、急激に下る遍路ころがしという急坂が
途中にあるかららしい。
一本杉という700m超の峠につくと、そこから遍路転がしが始まる。
重い荷物を背負った僕にとって、下りの方が体に堪える。
登りは筋肉の力でカバーできる部分が多いが、
下りは膝にもろに体重と荷物の重量がかかってきて。
登りで疲れ切った足はがくがく言い出す始末。
へとへとになってくだりきったところで、
地図を見ると、ここからまた400m登らなければならない。
そこからは、ほんとうに辛かった。
一歩踏み出す気力もなくなり、片足半歩ずつ進む。
リヤカーマンの姿が脳裏をよぎる。進んでいれば、いつかは着く。
足が出せなくなれば、金剛杖を出す。
あと、1kmの文字が見えたときに
なんだってこんな辛いことをやりはじめたのかと
杉の木立から空を見上げて泣いた。
焼山寺についたのは、7時ちょうど。
遠く先にやけに明るい空間が見えた。そこが寺だった。
神々しかった。
あと30分で日が暮れる。今日はここの駐車場でテントを張ろうと
心細い気持ちでいると、わき水を汲んでいる一人の青年が見えた。
昨日の小屋で一緒だった自転車乗りのS君だった。
自転車で車道を登って来たらしい。
へとへとになっている僕をみて、色々気遣ってくれる。
夜は彼が持っていたローソクを炊いて、人気のない山頂で
11時まで色々と語り合った。
「僕、ローソクの火が一番好きなんですよね。」
下界でいえば、ちょっとあぶない、そんな言葉も
こんな山奥、明かりを消せばすぐさま闇に食べられてしまいそうな場所では
旅慣れた人間の言葉として、妙に感じ入った。
一人と二人では、旅は180度違うものになる。
そう思った。どこでも二人は楽しい。
二人旅の煩わしさもきっとこういうことがあるから続くのだろうな、と思った。
一人旅は、ひとえに心細く、孤独。
イノシシがでるらしいから
ゴミ袋は外に置いて寝る。
本日の歩数
27444歩
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