今クタに居ます

今は薬を飲み、気分が落ち着いていますので
とある人に送った、ここ数日のことをそのまま書きます。



自転車がパンクしたわけでもなく、
万事順調にいっていたなか、のことでした。

ソカというさびしい村の古いバンガローはだだ広い上に
天井が高い建物でした。

蚊が多いので、もっていた蚊帳をはじめて使ってみました。
広い部屋に小さな蚊帳。
明かりを消すと思った以上に暗く、蚊帳の外は小さな明かり窓が
3つ遠くに月明かりで光っているだけで、部屋の中の様子は何もわかりませんでした。
怖いというよりはなんだか気持ち悪くなり、持っていたipodで日本の
音楽を聴いていると
「あ、やばい」と自分で思うほど心臓がバクバクいいはじめました。
それは発狂しそうになるぐらい強烈なものでした。
何が原因なのかわからず、止め方もわからず、私のほかにバンガローに人はおらず
まして日本人などいるわけもない この小さな村で、この状況をどうすればいいのか
相談する相手もいませんでした。

携帯で日本の友人に電話をしましたが、余計に心が痛むばかりでした。
そこから朝までの数時間、それはもう筆舌に尽くしがたい恐怖感をおぼえました。

すこしウトウトできたぐらいの頃に、朝を迎えました。
外に出て、藁にもすがる思いでバンガローのオーナーと話をしましたが、
しめつけられるような胸の苦しさは変わりませんでした。
近くの店で朝食をとっているとき、これから先こんなことがあったらどうしよう
人のいない砂漠で、まったく言葉の通じないところで、
また昨晩のようなことになったらと想像していると
なんて自分は弱い人間なんだ、自分の選択は間違っていたんじゃないか、
自分の能力以上のことをやろうとしているのではないか。と
おもいました。

でも、大みえをきってでてきて、スポンサーをつけて
地元ではかなりメディアにもでているのに のこのこ帰るわけにも行かない。
そんなことを考えていると、もう何をするのも億劫になりましたが
ここを出るにはとにかく漕ぎ出さなければならないのです。

朝食はナシゴレンでしたが、まったくのどを通りませんでした。
でも朝食を食べなければ、いつか力が尽き、体を弱らせることになる。
体と心がばらばらになるような感覚を覚えながらも、朝食を食べ、パッキングをし
そのソカという小さな村を出ました。

そこから先の一日の行程は本当に苦行そのものでした。
なにか胸がしめつけられはじめると、それを紛らわすためにペダルをうんと
ふみ、でもそうやっていると次第に体が疲れ、そうするとまた胸に昨夜のことが
ちらつきました。


40km先のヌガラという町をその日の終着点に考えていました。
ヌガラにつくまえに、ビールを2本買いました。これで気を紛らわせようと思いました。
ビール瓶2本は、だいぶ重く足に響きましたが、胸の痛みに比べれば
なんともなかったように思います。

ヌガラにつくとすぐにさらにビールを買い求め、それを飲み干してその夜は
夜中に目を覚ますことなく過ごすことができました。

ただし、翌朝は地獄でした。
起きるとすぐに、いいようのない不安が胸をしめつけました。
昨晩の残りのビールを手に取り、誰もいないホテルの廊下で飲みました。
ふと、朝っぱらからこの緑のビール瓶を手に飲んだくれている自分を
客観的にみるような感覚になりました。

そのときは、もう自分が本当に情けなく、かといって進むことも帰ることも
ままならない今の状況を考えていると、消えてなくなりたくなりました。

精神的なやばさを感じたので、
私はとりあえずクタまでもどる決心をして
急遽大枚をはたいて、車をレンタルして戻りました。

自分が二日かけてきた道のりをたった3時間でもどっていくさまは
切ない、以外の言葉では言い表せませんが
自分のこのわけのわからない心の重圧が
なんとなく解けていくようで、すこしホッとしました。
助手席で私はすぐに寝入ってしましました。

そして、今私はクタの安宿にもどり
変わることのない胸の苦しみとともにあります。

昨晩は、宿で一緒になった日本人と夜遅くまで飲みましたが
結局夜中に目が覚め、酒の勢いもてつだってかよりいっそうひどい
苦しみに教われました。
夜中に宿の廊下を何周も歩きましたが、眠れず、一昨晩のんだ
睡眠薬を飲んでねました。


これが単なるホームシックなのかどうか
今の私にはわかりませんが
一刻もはやく、この重圧から逃れたい。
そのためには、日本に帰ることも考えています。

情けないですが、今は一人で何をきめることもできず
心が落ち着くのを待つしかないようです。