荒野

ハンピという町がインドにある。
昔、ある王国の都だったという。


沢木耕太郎『深夜特急』の気ままな放浪に憧れていた私は、
ガイドブックの類を持って旅行をするのがこの上なくかっこ悪いことのように
思えたので、一度目のインドはそういうものを持たずに入国した。
とはいっても、旅先で出会った多くの日本人は「地球の歩き方」を読んでおり、
その人達と情報交換をすれば、結局はガイドブックを持っているのと同じだったわけで。


ハンピは、そんなガイドブックにもこっそり載っているわけだけれども、
旅先で知り合った人に日本人のいない秘密の土地があると言われ、行ってみた。
着いたが、遺跡ぐらいしか見ものがなく、おもしろくない。近くにある岩山に登ってみた。
赤茶けた岩をひたすらよじのぼって、頂上からみえた景色に心奪われた。
遥か遠くまで、どこまでもつづく荒野。数時間、見続けた。


その5年後、大学卒業を前に荒野の絵を描いた。


f:id:sekaiisshu:20071122020739j:image
「荒野」キャンバスに油彩 2004年


「想いが人に伝わなければ後は祈るしかない」
「絵を描くってことは、荒野に石を積むのと同じことだ」
「荒野に石を積む、これは祈りの形であり私自身の形でもある」
会社でそのようなことを言えば、何を後向きで曖昧なことを、と一蹴されて終わりだが、
この絵について人に聞かれたとき、私はそのようなことを真剣に説いていた。


この先働き始めれば祈ることなど許されないのはわかっていたし、
しばらく自分がこの絵を見向きもしなくなることもわかっていたけれど、
いつかこの絵を頼りにする日がくる、自分はそういう性分だという直感があり、
今描いておくべきことだと思っていた。


この絵は、おそらくあの頃の私が、今頃の私に対して周到に用意したものだった。
絵が語りかけてくる。
「考えていること、生きている証を怖じず、表現せよ」